Recruit Column

採用コラム
Career
2020.08.26

金では買えない大切なもののために働く

リッチメディアに入る前、僕は会社を経営していた。
5年間自分で経営していた会社を畳んでまで、リッチメディアで働くのはなぜか。

新卒で入社したのは、IT系のシステム会社。2000年のはじめ、IT業界は凄まじい勢いで成長をしていて、「いつか自分で会社を」という憧れを持っていた自分は、伸びている業界に身を置く方が成長できる、と考えてエンジニアとして入社した。入社した当初は、完全に落ちこぼれ。ITに関するテストでも、堂々と0点を取ってしまったり。今思えばふてぶてしい新人だったけれど、知らないものは仕方ない、と開き直っていた。でもそこから、とにかく勉強の毎日。スタートの時点で負けているなら、巻き返すにはみんなよりもたくさん仕事をしないと追いつけない。誰よりも朝早く来て、誰よりも遅くまで。とことん仕事をしている内に、いつの間にか同期の誰よりも成果を出せるようになった。やればできる、という当たり前のことを若い時に経験できてよかった。

システム構築の仕事は奥深く、面白い仕事だったけれど、人に説明しにくい裏方の仕事。もっと分かりやすく人に影響を与えられる仕事をしたいと思って、インターネットメディアを運営する会社に転職した。webディレクターとして仕事をしたけれど、システム会社でエンジニアとしてのスキルを磨いていたので、webサイト制作においても、目に見える構成やデザインだけでなく、裏側の開発もできることが自分の強みになった。当時、20代半ばで、1人でweb全体を見れるという人は希少。おかげで、転職した初日にメディアの改善をリリースしたり、すぐに色んな仕事を任されるようになった。早くからメディアの運営やwebマーケティングを第一線でやらせてもらったおかげで、たくさんの優秀な人たちに出会うことができた。その内の1人が、当時サイバーエージェントで広告営業をしていた坂本さんだった。その後10年の時を経て、同じ会社で働くとは思いもよらなかったけれど。

どんな会社でも、最前線で仕事をしていれば、いつも新しい挑戦がある。社内で新規事業が立ち上がると必ず声をかけてもらい、色んな挑戦をさせてもらった。挑戦が失敗することも多く、失敗した時は本当に辛いんだけれど、それでも成功した時の喜びは格別。社内・社外の仲間を巻き込んでチームにして、社会にインパクトのあるメッセージを届ける。その喜びは、何物にも代えがたいものだ。会社の中の新規事業ではなくて、その全てを自分の手でやり遂げたら、得られる喜びは、これまで以上のものになるんじゃないか。これまで自分が責任者として数々のプロジェクトを動かしてきたという自負もある。ゼロから自分でやってみよう。そんな思いで独立し、会社をつくった。

資本金1万円。会社なんて誰でもつくれる。問題はその後だ。前にいた会社に不義理はしたくなかったので、在職中に起業準備はしておらず、本当にゼロからのスタート。営業も全部自分でやって、ITだけでなく、プロスポーツ、人材、飲食など様々なプロジェクトを手掛けた。会社に所属した時と違って、自分が成果を上げられなければ、あっという間に会社は潰れる。そのヒリヒリとした緊張感を常に感じながら、必死で仕事をした。気付けば、20社近い会社のコンサルや顧問を務め、収入も増えた。誰から指示されることもなく、仕事の全てを自分で意思決定して、自分の力でお金も稼げるなんて、最高だ、と思った時期は短かった。

満たされない自分がいた。決して楽をしていたわけではない。小さいながらも会社を経営するということは、簡単なことではない。這いつくばって、もがき苦しんで、それでも突っ走って手に入れた、自由とお金。何が足りないのか。悩みながら仕事をしていた頃、再び坂本さんに出会った。リッチメディアが仕掛ける新規事業を、自分がコンサルタントとしてサポートする仕事。坂本さんは、変わらないなぁ、と思った。ピュアで、バイタリティに溢れていて、どんな時も前と上を向いて仕事をしている。
「内村さん、リッチメディアに入社して一緒にやりましょう!」

冗談半分で何度も声をかけてくれていると思っていたけれど、坂本さんは本気だった。何度断っても、翌週会えば「一緒にやりましょう!」。プロジェクトを通じて、リッチメディアのメンバーとも仕事をする機会も増え、ある日全社総会に参加させてもらうことになった。その総会で目にした熱量に圧倒された。壇上のMVP受賞者の涙、見守る戦ったメンバーの涙。仕事の詳細はわからなかったけれど、この人たちが本気で命を燃やして仕事をしているということは明確に伝わってきた。複雑な感情だった。自分の会社では、こんな熱をつくり出すことはできなかったという悔しさ。同じ経営者としての、坂本さんへの羨ましさ。自由とお金を手にしたけれど、自分には足りないもの、それは志とチームだった。「可能性を世界で最も開花させる」という社会に向けた志と、心を一つにしたチーム。

それでも、なかなか踏み出せなかった。リッチメディアに入社すれば、今よりも収入が減ることは確実。他に進めている仕事もある。でも、リッチメディアとの仕事は中途半端になっている。外部の人としてではなく、自分がもっとコミットして、同じ仲間として一緒にやりたい。今自分が手にしているものを、全て手放せるのか。半年間、悩みに悩んだ。本当に悩みに悩んで、決めた。リッチメディアで働く。自由とお金が一時的に減ったとしても、リッチメディアには自分の思いを重ねられる志があって、最高のチームがある。ありふれた言葉だけれど、決して金で買えないものがある。心の底からそう思って、リッチメディアに入社をした。自由とお金は、リッチメディアの仕事を通じて、後でたっぷり手に入れてみせる。

リッチメディアに入社してハッピーエンド、なんてことはない。
自分の会社でやっていたときよりも、遥かに難しい困難が次々と訪れる。毎週の経営会議が、本気のぶつかり合い。刻一刻と変化する事業状況の報告と戦略の提案。それに対する坂本さんからの鋭く厳しいフィードバック。組織の中で誰かが苦しんでいるという小さなサインを、決して見逃したり見過ごしたりせずに向き合う経営陣。一番新参者として経営会議に参加している自分の、「助っ人感覚」を恥じた。この会社で起きる全てのことを、自分ごと化しないのは、間違っている。

リッチメディアで自分がやりたいことは、2つ。1つは、メンバーを育てること。ビジネスパーソンとして選ばれる人になるために、自分が伝えられることの全てを伝えて、小手先ではない本質的な仕事ができるビジネスパーソンに育てる。できることが増えることで得られる自由の喜びを、みんなに知ってほしい。もう1つは、リッチメディアを最高のチームにすること。なぜリッチメディアで働くのか。それぞれが様々な思いを持ち寄って、ここにいる。一番異端な自分が、この会社で働く意義を語ることに、きっと意味がある。

アフリカの諺に
「早く行きたければ、1人で行け。遠くへ行きたければ、皆で行け」
という言葉があるという。

いつの間にか自分もいい歳になったので、早く遠くに行きたい。
リッチメディアなら、きっと行ける。行ってみせる。

内村 光希執行役員
2018年
株式会社プロトコーポレーションでプロデューサー・プロモーション責任者を担当し、独立を経て、2018年に株式会社リッチメディアに入社。新規事業とプロダクト事業部を担当。2019年4月より執行役員に就任。